2015年6月29日月曜日

少年Aの本:この事件はまだ終わっていない。

「絶歌」元少年Aによる本の出版についていろいろな意見を見聞きします。

内容を読まないで意見するのもと思いながらも、「本を買う」、「本が売れる」ということが出版を肯定すると悩ましく思っておりました。しかし、近所には売っている書店もなく、売り手の配慮に読まなくても良いかなと思い始めております。


私が保護司の立場として思うのは、この元少年Aの文章は更生させようとする人達への参考資料として専門誌などにひっそりと載せるものだったのでは?と思います。
保護司には「厚生保護」という冊子が配布されていますが、それぞれの役割に関連する専門の書があるはずです。

「世間を騒がせてやりたい」という気持ちがこの本にはまだあるような気がしてなりません。

そして、この本の出版で知ったのが(そういえばあったなぁという記憶)「『少年A』この子を生んで・・・・・・」という両親が事件2年後に出版した本。内容はわかりませんが、この本こそ事件に力を注いだ皆さんへの参考資料として提出するべきものではなかったのか?

被害者遺族はもちろん、今なおこの事件は終わっていない。担当された方々はきっとそう感じたのではないかと苦々しく思う出版でした。

出版社に対する是非、言論の自由なども論じられていますが、言論の自由は絶対的に守られるものですが、言葉の暴力や相手の立場を思いやれない行為は言論の自由を振りかざす以前の問題です。

話はそれますが、議会には様々な陳情があります。
今回「ヘイトスピーチを禁止する法律制定」を求める陳情がありました。

人種差別は勿論絶対にしてはならないことです。しかし、この法律を制定することは人種差別があることを認めることになるのではないか?言論の自由だからといってヘイトスピーチをするというのはそもそも間違っている。法律を制定するのが解決策ではないと考えます。

最近世の中での不穏な雰囲気は、自分のことを一方的に主張するという方法が目立つことも一因だと感じます。

元少年Aの「出版」は相手の立場に立てるまでにはまだなっていないことが残念であり、時代を象徴しているような気がします。